―――不幸のうちに初めて人は――――――――――

       ―――自分が何者であるかを本当に知る――――――――――

                            『マリー・アントワネット』(上)【ツワイク】より



































「……」





言葉が、出ない。


燦々と降り注ぐ夕陽の光を受けに受けて、輝いているとある看板。

設置されている場所は古びた駄菓子屋のような店の上で、その建物は雰囲気的にも結構良さそうだった。

けれど違和感が浮き彫りになっている。何より、その看板は誰がどう見てもおかしかった。

年季の入った木が使用されている店と合わせるならば、有り得ない配色。

いくらセンスがない人だって、こんな組み合わせにする可能性などあるはずがない。



蛍光色で虹色のように描かれた下地に、血のような赤さ加減で特大な店の名前。



もっと別に使い道があったのではないのか、と思われる長方形の横に長い板。

可哀想に、こんな装飾にされてしまって。バックが黒じゃない不幸の手紙のようだ。

目には決して良くない、しばらく見ていると痛くなってきた。

頭を振ってそれから視線を離し、眉間に指を当てて息を深く吐く。

後頭部辺りに重く鈍い痛みが渦巻いて、なかなか消えてくれない。

そもそも私は今、学校からの帰り道にいるわけで、こんな人気のない所で油を売る必要は果てしなくないはずだった。

けれど、気付いてしまったのなら…見過ごせなかった。

一体全体どういう意図で堂々とこの看板を掲げているのか。



ちなみに、店の名前はどうやら【万事屋】と言うらしい。



ちょっと扉の古びたガラスにへばりついて、中を覗いてみる。

店員らしき人の気配は感じないが、一応やはり店のようだ。

しかし菓子類があるわけではなく、駄菓子屋というわけではないらしい。

はっきりとは見えないけれど、とりあえず電気すら点いていないのは分かった。

客なんて尚更で、本当に店として機能しているか怪しい。



(何だ、誰もいないのか)



少しがっかりして、一歩店から離れる。

看板と比べて、店内にインパクトは全くない。

逆に悲しいぐらい寂しさが立ちこめている、何だか空しくなってきた。

店の名前は良いとして、業務内容だって看板に書いておいてくれたら良いのに。





―――っと、すでにこの店が限りなく気になっている自分がいる。





気が付いて、限りなく自分に対して失望した。現実に戻らなければ。

なるほど、この看板と店内のギャップで客を集めるつもりなのか。危うくはまってしまう所だった。

………などという、馬鹿なこともないだろう。

何だかもの凄く間抜けに見える私、自分に嫌気が差しつつも元の帰り道を辿り始めた。

また明日の朝にも見かけなければならないのか、この看板。

そう思うとさらに肩が重くなる、鞄がいつもより倍くらいの質量になった気がする。

けれどふと、頭に何かが過ぎった。



そう言えば、朝登校する時にはこんな看板に気付かなかった。



おもむろに振り返って、再度看板を見上げた。

なぜだろう、今日に設置されたばかりだとでもいうのだろうか。

さらに言ってしまえば、この建物もいつの間に建てられたのだろう。

古さ加減から言って随分前なのだろうけれど、見かけた覚えがない。

看板が掲げられたから気が付いたのだろうか、それまでは存在感がなさ過ぎて分からなかったのか。

少し引っかかりを覚えてしまったが、とりあえず今日はもうこれ以上ここにいるわけにはいかない。

それにどうせ何回もこの道を通るのだ、いつかいろいろ分かるだろう。

まさかずっと従業員を見かけないということもないだろうし。

気が付けば、陽がだいぶ暮れ始めている。


この時期は暗くなり始めるとすぐに夜の帳が下りてしまうから厄介、小走りに地面を蹴った。















そんな私の後ろ姿を、誰かが見ているとは思うはずもなく―――――。




















   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *





「完っ璧に【見えて】たなあいつ」

「あの看板にして正解でしたねぇ、真っ先に興味をもたせられますから」





消えていく少女の背中を店の扉の前から眺め、二つの存在がただ笑う。

先ほどまで一切気配を絶っていた彼らは、少女が店の前からいなくなったのを確認して出て来たのだ。



「住居不法侵入上等、早速夜に行ってみるぞ。あいつの家」

「それは結構ですが、相手方に損害を被らせないでくださいよ?後々ややこしいんですから」

「ふん、そんなもん知るか。どうして俺がそんなこと気にしなきゃなんねぇんだよ」



そう言ってのけて、【彼女】は店内の奥へ消えていく。揺れる銀髪が美しく、薄暗い空間へ融けていった。

その姿を【彼】はただ黙って見送るだけ、これから少女に降りかかるであろう災難に密かに同情した。

まだ微かに残っている陽は、じきに沈んでしまう。



「さて、面白いことになりそうですねぇ」



逢魔ヶ時が過ぎてしまえば、世界の支配者交代が行われる。

その狭間でその店は―――唯一の独立を維持していた。










彼らの存在など知らぬ少女は、ただ必死に夜から逃れようと走るのみ。